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脱・底辺 100の法則

脱・底辺思考! 底辺の生活を見つめ、底辺から脱するためにはどうしたら良いかについて解説する。

2019年07月

12 7月

底辺は底辺を呼ぶ

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■底辺養成所には近寄るな

「類は友を呼ぶ」と言うが底辺は底辺同士で集まる。

たとえば経営陣が集うパーティなどに底辺が招かれれば、底辺としてもそれは居心地が悪いだろう。心理学的に見ても、人にはそれぞれ快適な居場所があるのだ。

人であれ動物であれ、属性が同じものは集う集成があるのである。

また、これは環境によっても左右される。

映画「フルメタル・ジャケット」はその好例だ。たとえ底辺であったとしても、無理やり軍隊に入れられて数年を過ごせば相応の立派な人格と面構えになるものである。逆もまた然り。底辺は底辺を呼ぶ。底辺が集う環境は底辺養成所なのだ。

たとえばエリートサラリーマンでも、何らかの理由で繁華街のまんが喫茶で2年、3年と寝泊まりをしたのであればどうだろう。右を見ても左を見てもまんがばかり。そこでできることはだらだらとネットサーフィンをするなり、底辺丸出しの連中と遊び回ることだけ。そしてそれは、そこで知り合った底辺の生活リズムにも引っ張られることをも意味する。

こうなると元はエリートサラリーマンであっても、数年後には勤め先もなく、そこで一日をだらだらと過ごすだけの見事なまでの底辺ができあがる確率は高い。

これはパチンコなども同様だ。底辺の集う場所は底辺養成所である
底辺から脱却したいのであれば、まずは周囲の環境を見回すことだ。


■人格を変えることが先決

「類は友を呼ぶ」とは、同じような傾向の者が自然に集まってくることを指す。つまり、居心地の悪い場所であれば、仮にそこに顔を出す機会があっても「ここは自分には合わないな」と自然と離れてゆくという意味でもある。

パチンコやまんが喫茶に慣れ親しんでいたり、朝から晩までネットサーフィンをしていたりする底辺がその場から離れるのは至難の業でもある。そのような場合、自分の内面に問いかけることが大切だ。

本物の底辺であれば、そもそも自分のいる環境が底辺であることを自覚していない。むしろ「良い場所だ」と手放しで称賛していることだろう。

しかし胸の内になんらかの不安やいらだちがあるのであれば、そこから顔を背けずに正面から問いかけてみるといい。それは自分が底辺から脱却したいと言う気持ちの表れなのだ。


■不安はあなたの宝石となる

底辺は底辺同士で群れたがる。そこに不安を感じるのであれば、その不安は底辺脱却のためのまばゆい宝石としてあなたの前途を照らすことだろう。

いずれにせよ「朱に交われば赤くなる」は本当だ。底辺の集う場所には近寄らない方が賢明だ。
11 7月

底辺は約束を守らない

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筆者が常々述べていることの一つに「約束を必ず守る」というものがある。約束は書面に限らないし、相手が年端のいかない子どもであっても、盛り上がった酒の席であっても同様だ。

もちろん筆者とて人間であるからには、思いがけず約束を破ってしまうこともある。しかしそれであっても、後日必ず謝罪するようにしている。仮に幼児であっても腰を折って心から謝罪している。


■底辺は約束を守らない

底辺は約束を守らない。これはあらゆる底辺に共通している思考だ。彼らは時間であれ、お金であれ、人の紹介であれ、平気で約束を破る。約束を破ったことがバレたらニタニタしながら「あれは酒の席だから」とか「俺は君より年上だから」と見苦しい言い訳を並べ立てる。

当人はうまいこと言ったつもりだろうが、その際の惨めな姿は誠に憐れむほかはない。


■底辺の思考は「謝ったら負け」

なぜ底辺は約束を守らないのか。ビジネスでもし契約を破ってしまったのであれば即座に謝罪しにいかねばならない。それは当たり前のことだ。

底辺が約束を守らない原因。それは、底辺には薄っぺらなプライドしかなく、それが人生のすべてだからだ。

約束を守ろうとしないことも、謝罪ができないことも根っこは同じだ。底辺は我のカタマリであるために自分中心で物事を進めようとする。約束を守ることも、守れなかったがために謝罪をしにいくことも自分をすり減らす苦しい行為だ。底辺はそのような痛みには耐えられない。

以前、金融業者から話を聞いたことがあるが、多重債務者には借りた金を即座に踏み倒すような連中が多いそうだ。しかし債務者に対してそれを指摘すると、ときに彼らは人格を否定されたとばかりになりふり構わない逆ギレを始める。そしてそれはときに刃傷沙汰ともなりかねないとのことだった。貸した金を取り立てるというのもなかなか大変な仕事のようだ。

謝れない人は世の中に往々にして存在するが、底辺の思考の根底には「謝ったら負け」という意識がある。謝ることは相手の風下に立たされると思っているのだ。彼らは自分が間違ったときに素直に謝れないことの方がずっと恥ずかしいことに気づいていない。



■約束を破ることは卑しい振る舞い

繰り返すが、底辺ほど約束を破る。逆に言えば守れないような約束であれば最初からしないことだ。

一度失った信用は二度と取り戻せない。そして謝罪とは、約束を守れなかったとき、他者との信頼をつなぐ最後の砦であることを底辺は理解していない。

約束を守らず、それを指摘されたら「酒の席だから盛り上げてやった」だの、「自分の方が人生の先輩なんだ」だのと論点をぼかし、ニタニタ笑って逃げ回る底辺特有の卑しい振る舞いを見る機会があったら、とっくりとよく観察してみるといい。


約束を破って逃げ回る卑屈な底辺を目の当たりにし、このような惨めな人生を送りたくないと思ったのであれば、あなたはすでに底辺から脱却をし始めていると言えるだろう。

11 7月

底辺はマウンティングが好き

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マウンティングと言う言葉が流行って久しい。

マウンティングとは、本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子をいいますが、人間関係においては、「自分の方が優位」と思いたいがゆえに、「私の方が他人よりも幸せである」と一方的に格付けし、自分の方が立場は上であると主張』する。

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マウンティングをされた経験は誰にでもあるだろう。学校でも会社でも、スポーツクラブでもマウンティングをしたがる人間はそこかしこにはびこっている。このような人間は向こうから寄ってきてはすきあらば説教を垂れたがったり、上から目線で接してきたりするために厄介極まりない。


■富裕層はマウンティングを避けたがる

ただ、筆者の経験上、富裕層になるほどマウンティングをする人間は少なくなる傾向がある。その理由は2つある。


1つ目はマウンティングをすることは敵を作ることであると自覚しているためだ。富裕層は儲かる話とリスクヘッジに敏感だ。

だからこそ他人から迷惑を被らない限り、自分からマウンティングしようとする人は少ない。もちろん六本木の成金のような、いわゆるオラオラ系であれば話は別かもしれないが、そもそもそんなところに近寄る時点で自分が底辺なのだと自覚すべきだ。


2つ目はマウンティングをする必要がないためだ。「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」というネットスラングがあるが、言い得て妙だろう。

富裕層は相手に対してそもそも優位を確信しているから、いちいち相手をマウンティングする必要がないのだ。

新入社員にマウンティングする先輩がいたとしたら、それはよっぽど自分に自信がない証左である。そしてそのような会社にいるべきでもないだろう。なぜならそこは底辺だからだ。

このように説明すると、底辺は相手を同格としてライバル視し、マウンティングすることで自分を優位に見せたいと本能的に思っていることがわかるはずだ。


■マウンティングは底辺の証明 すぐにその場から立ち去ろう

誰であれ他人からマウンティングされると非常に気分が悪くなるものだ。人によってはモヤモヤした思いを引きずることにもなるだろう。

しかし、もし底辺から脱したいと望むのであれば、マウンティングされたときには「このような底辺の世界に来てしまった」と大いに反省すべきだ。

そして自ら身を引き、そこからは早めにフェードアウトすることが正解だと言えるだろう
10 7月

底辺は比較を好む


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グチを言い合う底辺たちの話を聞いたことがあるだろう。
教室や職場・居酒屋の片隅で、そこにいない第三者のグチを延々と言い合っている様を。

やれあいつは態度が悪いだの、あいつは生意気だのととりとめもない悪口を並べ立て、30分もすればスッキリした顔になり、いつの間にやら話題も別のものに移っているのである。

底辺は他人と自分を比較することが大好きだ。
その理由は簡単だ。

底辺は自立していないからだ。


■底辺は矮小な世界で他者に依存する

どんなものであれ、人間関係というものは多少は他者に依存している面は否めない。
すべてが義理ごととビジネスだけで生きていてはそれは寂しいものになるだろう。

成金などはここを履き違えやすい。
傲慢な者は後で落ちる一方しかない。

一方で底辺は他者への依存が度を越して高まる。
仮に他者との間に金銭的なやり取りが発生していなくてもそれは同様だ。

なぜ底辺が他者に依存するか。
それは底辺は狭い人間関係を愛するからだ。

底辺の本質は臆病な怠け者であり、新しい人間関係を築くことを厭う。

だからこそ底辺にとっては小汚い居酒屋の片隅や薄暗い教室の一角、埃臭い部署の一室だけが世界のすべてであり、そしてそこで出会う連中が底辺にとっての人間関係のほとんどを占めている。

結果、底辺は狭い人間関係での持ちつ持たれつを極度に重視するようになる。

狭い人間関係の中でそこから脱却しようとする者やこれまでの期待を裏切ろうとする者が出てくると底辺は全力で叩こうとする。

なぜなら1000人の知人がいる中で10人と意見が合わなくても気にも留まらない。しかし10人の知り合いがいる中で1人が反駁をおこそうものならそれは大変な事態だからだ。

ここからわかるように底辺が他者と比較をしたがる理由とは、他者と自分を比較をすることで、社会にないも同然の自分の居場所を再確認しているのだ。

もちろんそれが確認できれば底辺は満足し、ほろ酔い気分のまま、社会の最底辺でまた眠りにつくのである。



■グチは底辺のシグナル

他人のグチを言ってはいないだろうか。
他人と比較をしていないだろうか。

それは自分の口から突いて出た底辺のシグナルであることを肝に銘じておこう



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