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脱・底辺 100の法則

脱・底辺思考! 底辺の生活を見つめ、底辺から脱するためにはどうしたら良いかについて解説する。

2019年07月

17 7月

底辺は認識の幅が狭い

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■インプットの幅が狭いと変化できない

底辺の話はつまらない。インプットの幅がとても狭いからだ。

インプットの対象というものはとても大切だ。
朝から晩まで2ちゃんねるのまとめサイトを眺めていれば、入ってくる情報はそのレベルに即したものに限られる。さらにその中から興味のある記事だけを読んでいれば、それは自分と同じような方向性の人間が自分向けにカスタマイズした情報をインプットするだけに留まる。つまり、まとめサイトと同質化していく底辺となると言うことだ。これは付き合う人間でも、周囲の環境でも同じことが言えるだろう。

またこれは経験においても同じだ。経験というものは無二のものだ。たとえばオーストラリアの絶壁でロッククライミングに挑んだものの、標高数百メートルのところで大けがをしてしまい、その日は救助を待ちつつ夕暮れを眺めたというような話題であれば、それは聞く側にとっても愉快な時間を送れるものだ。


■感動をもたらす経験と単なる自分語りは違う

このような感動はときに相手に変化を促す。筆者がスキューバダイビングを始めたきっかけも、友人が海中で無音に包まれながら太陽を見上げる体験を赤裸々に語ってくれたからだ。

一方、残念ながら底辺の体験というものは大抵が似たり寄ったりのものばかりだ。中学生のときに誰とケンカしたと言うような武勇伝を50歳になっても平気でしたりする。そしてその話題を喜ぶのは同じような系統の底辺か、もしくは語っている自分だけだったりするものだ。

もちろん同質化の中で、自分だけのオリジナリティを発揮できるほど差別化が図れるのであれば状況を打破することもできるだろう。ケンカで負けたことをきっかけに武道の門を叩いて厳しい修行に明け暮れていたところ、道ばたで人を襲っている暴漢を捕まえたと言うのであればそれは一聴に値するかもしれない。

しかし底辺は基本的に受け身であり、垂れ流しの中での好みの情報をインプットすることはあっても、そこから周囲にアウトプットすることはおろか、自分なりの独自性を発揮できる可能性は限りなく低いだろう。


■社会に価値を提供する

底辺は誰にも受け入れられない自分の価値を必死にアピールするに留まる。しかしそんなものは誰も受け入れない。底辺を脱出したいのであれば、社会と多くの人々が喜んでくれるアウトプットをどこまでできるかにかかっていると言えるだろう。

16 7月

底辺は目先のことしか考えない

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■目先のうんちくは役に立たない

インターネット内ではライフハックが人気だ。

それは素早く安眠できる方法だったり、ネット通販でお安くまとめ買いする方法だったり、はたまた蚊に刺されない方法だったりとさまざまだ。

「ライフハック」と名付けられているが、このような類は90年代の初頭から「ハウツー本」などとして人気があった。おばあちゃんの知恵袋のようなものだろう。

しかし、これらのライフハックが本当に人生の役に立つかと言えば、ほとんど役に立たないのが実情だ。テレビのクイズ番組で垂れ流されるうんちくを覚えている人はほとんどいないだろう。

底辺は雑学を好む。目先のことしか考えられず、物事を体系的に捉えられないからだ。だから整理できていない知識であっても、目先で効率良く物事をこなせるようになるものに飛びつく。


■成功する人はライフハックにとらわれない

一方、成功する人間はライフハックなどにほとんど気を留めない。時間の価値をよくわかっているからだ。

同じスポーツであっても、たとえば底辺はジョギングのための人気ウェアを知っていたと思えば、ボーリングを上手に投げる手の使い方を知っていたりもする。しかし、では底辺がジョギングを継続していたり、ボーリングが上手なのかといえばそんなことはない。聞きかじりの適当な知識に過ぎないからだ。

かたや成功する人間は、たとえばボルダリングであれば、ウェアから効率的な身体の使い方、筋肉の休ませ方まで深く体系的に学んでいる。書籍で学ぶことはもちろん、時間の代わりにお金を払って専門家に習う者も多い。

これは人生においても同じだ。底辺は目先のことしか考えられないから、朝からパチンコ屋に並ぶ。成功する人間はその間、淡々と勉強したり資格を取ったりする。


■枝葉ではなく幹を見よう

目の前のことを処理できると言うのは気分の良いものだ。目先の問題を効率よくこなしていけるのであれば、相応の成果がすぐに帰ってくるからだ。しかしそれらは問題の本質からはほど遠い。

人生と経営は似ている面がある。何のためのこの社会に自分は生きているのか。また自己分析を通じて世の中にどう貢献できるのか。そしてその貢献の方法として、今自分はどうなっているのか。成功する人は、ここまで辿った上ではじめて目先の問題に取り組んでゆく。

底辺は枝葉末節の枝葉ばかりを見つめ、自分の人生と言う、肝心の幹を見据えることを忘れているのである。

14 7月

底辺は自分を憐れむ

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■苦しみは誰もが抱えるもの

人生は思い通りにはいかない。これはあらゆる人間がそうだ。

一般的な国民の生活は日を追って苦しくなりつつある。1994年のGDPを100%とすると2016年は88%まで落ち込んでいる。それに加えて社会保険料のさらなる増加や定年退職の年齢延長の義務化、消費税の増税など、あらゆる要素に不安は尽きない。

しかもその税金は日々、オリンピックエムブレムのような利権に垂れ流され続けている。一部上場企業の会社員でもその苦しみは変わらない。

某企業の社員は、取引先の無茶振りのせいで自分は毎日終電帰りなのに、定時帰りの上司はその取引先から目の前でキャッシュバックを貰っているといつもこぼしている。

日々の生活や人間関係でも「なぜ自分だけがこんな目に」と思うことはあるだろう。いじめや暴力沙汰、筋の通らないマウンティングや嫌がらせに巻き込まれることも多いはずだ。

ときには心に長く傷が残ることもあるだろう。


■泣き言をぼやく底辺

しかし、である。
そんなことは誰もがそうだ。

底辺は憐れみを欲する。

以前、飛行機の座席で傍らに座った男に話かけられたことがある。
小さな事業所の社長だった。

はじめのうち、彼は旅行の話題で上機嫌だったのだが、適当に相槌を打っていたところ、なぜかだんだんとテンションが落ちていき、

「私は60歳だ。もう人生は終わりだ」
「私の言うことを社員は誰も聞いてくれない」
「取引先のせいで大変な目に遭った」
「景気が悪いのに税金ばかり取られる」

と始まった。

私は途中で話を打ち切り、そこで背を向けた。
それはきっと本当のことなのだろう。
だが、だからなんだと言うのだ。

底辺は自分を憐れむ。鬱映画のエンディングのように自己憐憫で人生が完結しているのだ。そしてその憐れみを共感してくれる者を探し求める。そして共感したが最後、自分も憐れみを求める底辺になり下がってしまう。

自分を憐れむのは底辺特有の意識である。

考えてもみたらいい。
HALOのマスターチーフが、銃が壊れたからと言って「もう人類は終わりだ」と宇宙船の片隅で体育座りを始めたらどうなるだろうか。グラディエーターのマキシマス将軍が、剣闘士の試合で戦車と虎の群れに囲まれたからと言って「コモドゥス陛下万歳」と叫んで剣を放り投げてしまったらどうなるだろうか。

そこで物語は終わってしまうではないか。

個人にしてもそれは同じだ。世界の誰も自分のことなど救ってはくれない。
自分で自分を憐れんだら、そこで自分の物語は終わってしまう。

たとえ粉雪の降るウォール街の裏路地で新聞紙にくるまって震える一夜を明かしたとしても、たとえ5分後に人類を壊滅させる隕石が落ちてこようとも、たとえ降り立った惑星の先に地面に埋まった自由の女神がいたとしても、底辺になりたくなければ自分の物語を終わらせてならない。

自分を憐れむということはそこで物語が終わり、底辺に堕ちたことを意味するからだ。
そして過去の思い出を引きずりながら、死ぬまで蔑まれ続けることになる。


■自分を憐れむヒマをなくそう

どんな人間でも理不尽な目に遭うことはある。
噛み締めた奥歯を砕いてしまうほどの悔しさに身を震わせることがある。

心のどこかに自分を憐れむ気持ちがあることがいけないとは言わない。
自分を憐れむヒマがあることが問題なのだ。
人はどれほど窮地に陥っても生き残る道を模索し続けることはできる。
底辺になりたくなければ、自分を憐れむヒマをなくそう。
13 7月

底辺は図々しい

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■底辺の行動は大きなツケを作る

図々しい人間はどこにでもいるものだ。新幹線で見知らぬ人が自分の座席を占領しているため、席を譲るよう促したところ、相手は「自分は年寄りだ。席を譲って当然だろう」と舌打ちされたと言った話は枚挙にいとまがない。

底辺は図々しい。傲慢な態度で他人の私生活にずけずけと踏み入ってきて、すきあらばモノでもカネでも奪い取ろうと手を伸ばしてくる。なぜなら底辺は自分中心であり、他人は衛星のように自分の周囲を回っていると思い込んでいるからだ。

これは普段はまともな人間でもときに豹変することがある。
とくにお金の問題でそれは顕著だ。

たとえば伴侶に兄妹がいたとしよう。その配偶者となる義理の夫や妻などは、平素であればまず顔を出さないにも関わらず、こちらの親族に不祝儀があった途端に出てきては、お悔やみもそこそこに遺産の取り分に口を出してくるというケースは少なくない。このような底辺は、他人の家の問題であるにも関わらず「うちは子どもが小さいからカネが必要」などとぬけぬけと口を出してくる。

いわゆる「争続」問題である。

相続を考える場合、普通は事前に根回しをするなり、義理や筋を通した上で円満に解決を図ることが前提であるが、実際には普段顔を出さない底辺が突然しゃしゃり出てくるから事態はややこしくなる。

お金には人を変える魔力がある。そして底辺ほどお金の力に呑み込まれやすい。なぜなら底辺はお金がないからだ。だからたとえ10万、20万程度の他人の遺産であってもなりふり構わず騒ぎ立てる。

しかしそのツケは後日、何百倍にもなって返ってくることを底辺は自覚していない。


■訊ね返すとキレる底辺

女性の中には職場で他人の恋バナや結婚生活に平然と踏み入ってきて、上から目線でアドバイスをしようとしてくる者がいる。出産や育児に口を挟んでくる人に遭ったこともあるだろう。

聞かれもしないことに助言をしたがるのは典型的な底辺だ。底辺は基本、周囲に価値を認めてもらっていない。承認欲求を満たしたくてうずうずしているため、少しでも相手の領域に踏み込もうと虎視眈々と狙ってくる。

同様に男の中では平然と下ネタを吐きつけてきたり、他人のプライベートな領域に平気で踏み込んできたりする者がいる。中には相手の貯金や財布の中身まで平然と訊ねてくる者までいる。そこできっぱりと「なんでお前なんかにそんな話しないといけないんだ」と反論できる人もいるが、中には思わず下を向いてしまう人も多いことだろう。

始末が悪いのは、訊かれたことと同じ質問を返すと底辺の中にはいきなりキレる連中がいることだ。

このような底辺は2種類に分かれる

1つ目は親が成金などで自分が偉いと錯覚しているタイプだ。他人を見下してアドバイスしてやることが当然で、むしろ親切だと思いこんでいる。だから逆に聞き返されると自分が見下されていると感じて激高するのである。

このような底辺には縁を切るつもりできっぱりと話題を打ち切ることが大切だ。職場などのようにどうしても顔を合わせなければならない場合もあるが、今や企業はハラスメント問題に敏感だ。同僚に事前に根回しをしたり、上司に相談をすることなどで問題が解決できるケースも少なくないだろう。

もう1つは犯罪者タイプだ。

今でこそ巧妙な手口に変わったが、オレオレ詐欺が始まった頃は被害者が電話に出るや、開口一番「電話番号言って」とドスを効かせた大声で言ってきたと言う。被害者はびっくりして思わず返事をしてしまい、そこからしつこく電話をかけて暗証番号を聞き出し、別口で預金通帳を預かると後はごっそりとお金を盗み出すと言う強盗同然の手口だった。

また先に述べた遺産問題の延長線になるが、ある日突然、遠縁の親戚が訊ねてきて「書類の上だけだから」などと言って自分の不動産の名義を変えるように迫ってくる者もいる。不動産は書類の上の線引き以外の何者でもないのだから、名義を変えた途端に不動産は相手のものになってしまう。

底辺はこのような恐ろしい行為を平然としてくる。しかもこのような連中は自分の行動が犯罪であることは重々承知しており、その上で騙される方が悪いと心底思い込んでいる。だから同じことを訊かれれば、彼らは当然激高する。自分に危害を加えようとしてきたと思うからだ。

このようなタイプの底辺はその場で即座に弾く必要がある。ほんの少しでもつけいる隙を見せれば、どこまでも食い下がってくるからだ。

これほど図々しい者は世の中には早々いないと思いたいが、実際にはちょくちょく目にするのが現実だ。底辺特有の行いであることに気づけず、大切な資産を奪われてしまった被害者は誠に気の毒というほかはない。


■図々しい底辺は向こうから寄ってくる

底辺を近寄らせない。生きていく上でこれはとても大切なことだ。

しかし、こちらがどれほど警戒していても図々しい底辺は向こうから寄ってくる。親しくない間であれば底辺を厳しく弾くことで、向こうもこちらに関わってはいけないことを悟ることだろう。

しかし、顔を合わせなければいけない間柄であれば、事前に周囲に根回しをした上で一斉に縁を切るなり、立場が上の者からしっかりと押さえつけてもらうなりしてもらうことが大切だ。
12 7月

底辺は言葉が軽い

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■言葉はときに命取りになる

みなさんは言葉が軽い人間に会ったことがあるだろうか。たとえば「やる」と言っておきながら小指の先程も動こうとしない人間だ。

底辺は言葉が軽い。なぜならそこにはやってきた実績も相手への配慮も存在していないからだ。

言葉と言うものはときとして途轍もなく重いものと成り得る。
言葉の重みを最もよくわかっているのは政治家とマフィアだろう。

政治家は発言のいかんによって国の行く末を大きく左右することにもつながるし、また往々にして失脚させられることもある。揚げ足取りをしたがるマスコミが針小棒大に騒ぐ昨今であればそれはなおさらだ。

マフィアもまた同様だ。マフィアは社会とは別の枠組みで動いている。彼らの世界には法律が存在しない。彼らにとっては言葉がすべてであり、たとえば敵対組織との交渉の場でうかつなことを言ってしまえば即座に足元をさらわれてしまう。

これに対して底辺は言葉が軽い。他人に対してどころか自分に対してすら責任を負えないことも平気で口にする。


■機関銃をぶっ放せ

筆者は以前、国際政治の講演会に来客として招かれたことがある。そのとき、東アジア情勢に詳しいと思しき国際政治学者が演説をぶった。内容はありきたりのものだったのだが、講演後、懇親会の席で仮想敵国の問題について話をしていたところヒートアップしてしまったらしく「某国の空港に降り立って機関銃でもぶっぱなせばいいんだ」などと叫んだのである。

するとそれまで黙って話を聞いていた聴衆の一人がおもむろに「そこまで言ったのなら、お前、まずは自分でそれをやってみろ」と突然すごんだ。それを聞いた他の聴衆たちも「そうだそうだ」と叫び出し、くだんの政治学者は真っ青な顔をして黙り込んでしまったのである。

その学者の顔を見たのはそれっきりだ。彼が社会に頭角を表せない底辺であることが端的にわかるエピソードだと言える。自分ができそうもないことをペラペラと軽く口にしないことだ


■言葉が軽い世界は荒れる

たとえば水商売の世界は言葉が軽い。接待する側の女性としても酔客相手にいちいち真剣になっていたら身がもたないからそれは当然のことだろう。

しかしそれであっても高級クラブと場末のスナックとでは言葉の重みはやはり変わる。また安いキャバクラであればスタッフの女性が突然失踪することなどは日常茶飯事だ。

管理をしている黒服も女性を信用しないため、そのような底辺ではどれほど取り繕った内装をしていても、やはりどこか荒涼とした底辺臭が漂う。

もちろん失踪する彼女たちにも相応の事情があるのだろう。しかし突然失踪すれば店が困るのは分かりきっているはずだ。相手への配慮がなければ人はどこまでも底辺から脱却できず、自分をさらなる底辺へと追い込んでゆくことになる。


■「言わない」ことの大切さを学ぼう

いわゆる成功者の中には何かを尋ねた際、意思を持って口を閉ざす人がいる。筆者は答えないことには「答えない」と述べることもあるが、いずれにしても、そこには言わないことの価値がある。

底辺を脱却する際のキーワードの一つに「沈黙は金」であることを知ろう。

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