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■インプットの幅が狭いと変化できない

底辺の話はつまらない。インプットの幅がとても狭いからだ。

インプットの対象というものはとても大切だ。
朝から晩まで2ちゃんねるのまとめサイトを眺めていれば、入ってくる情報はそのレベルに即したものに限られる。さらにその中から興味のある記事だけを読んでいれば、それは自分と同じような方向性の人間が自分向けにカスタマイズした情報をインプットするだけに留まる。つまり、まとめサイトと同質化していく底辺となると言うことだ。これは付き合う人間でも、周囲の環境でも同じことが言えるだろう。

またこれは経験においても同じだ。経験というものは無二のものだ。たとえばオーストラリアの絶壁でロッククライミングに挑んだものの、標高数百メートルのところで大けがをしてしまい、その日は救助を待ちつつ夕暮れを眺めたというような話題であれば、それは聞く側にとっても愉快な時間を送れるものだ。


■感動をもたらす経験と単なる自分語りは違う

このような感動はときに相手に変化を促す。筆者がスキューバダイビングを始めたきっかけも、友人が海中で無音に包まれながら太陽を見上げる体験を赤裸々に語ってくれたからだ。

一方、残念ながら底辺の体験というものは大抵が似たり寄ったりのものばかりだ。中学生のときに誰とケンカしたと言うような武勇伝を50歳になっても平気でしたりする。そしてその話題を喜ぶのは同じような系統の底辺か、もしくは語っている自分だけだったりするものだ。

もちろん同質化の中で、自分だけのオリジナリティを発揮できるほど差別化が図れるのであれば状況を打破することもできるだろう。ケンカで負けたことをきっかけに武道の門を叩いて厳しい修行に明け暮れていたところ、道ばたで人を襲っている暴漢を捕まえたと言うのであればそれは一聴に値するかもしれない。

しかし底辺は基本的に受け身であり、垂れ流しの中での好みの情報をインプットすることはあっても、そこから周囲にアウトプットすることはおろか、自分なりの独自性を発揮できる可能性は限りなく低いだろう。


■社会に価値を提供する

底辺は誰にも受け入れられない自分の価値を必死にアピールするに留まる。しかしそんなものは誰も受け入れない。底辺を脱出したいのであれば、社会と多くの人々が喜んでくれるアウトプットをどこまでできるかにかかっていると言えるだろう。