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■底辺養成所には近寄るな

「類は友を呼ぶ」と言うが底辺は底辺同士で集まる。

たとえば経営陣が集うパーティなどに底辺が招かれれば、底辺としてもそれは居心地が悪いだろう。心理学的に見ても、人にはそれぞれ快適な居場所があるのだ。

人であれ動物であれ、属性が同じものは集う集成があるのである。

また、これは環境によっても左右される。

映画「フルメタル・ジャケット」はその好例だ。たとえ底辺であったとしても、無理やり軍隊に入れられて数年を過ごせば相応の立派な人格と面構えになるものである。逆もまた然り。底辺は底辺を呼ぶ。底辺が集う環境は底辺養成所なのだ。

たとえばエリートサラリーマンでも、何らかの理由で繁華街のまんが喫茶で2年、3年と寝泊まりをしたのであればどうだろう。右を見ても左を見てもまんがばかり。そこでできることはだらだらとネットサーフィンをするなり、底辺丸出しの連中と遊び回ることだけ。そしてそれは、そこで知り合った底辺の生活リズムにも引っ張られることをも意味する。

こうなると元はエリートサラリーマンであっても、数年後には勤め先もなく、そこで一日をだらだらと過ごすだけの見事なまでの底辺ができあがる確率は高い。

これはパチンコなども同様だ。底辺の集う場所は底辺養成所である
底辺から脱却したいのであれば、まずは周囲の環境を見回すことだ。


■人格を変えることが先決

「類は友を呼ぶ」とは、同じような傾向の者が自然に集まってくることを指す。つまり、居心地の悪い場所であれば、仮にそこに顔を出す機会があっても「ここは自分には合わないな」と自然と離れてゆくという意味でもある。

パチンコやまんが喫茶に慣れ親しんでいたり、朝から晩までネットサーフィンをしていたりする底辺がその場から離れるのは至難の業でもある。そのような場合、自分の内面に問いかけることが大切だ。

本物の底辺であれば、そもそも自分のいる環境が底辺であることを自覚していない。むしろ「良い場所だ」と手放しで称賛していることだろう。

しかし胸の内になんらかの不安やいらだちがあるのであれば、そこから顔を背けずに正面から問いかけてみるといい。それは自分が底辺から脱却したいと言う気持ちの表れなのだ。


■不安はあなたの宝石となる

底辺は底辺同士で群れたがる。そこに不安を感じるのであれば、その不安は底辺脱却のためのまばゆい宝石としてあなたの前途を照らすことだろう。

いずれにせよ「朱に交われば赤くなる」は本当だ。底辺の集う場所には近寄らない方が賢明だ。