■言葉はときに命取りになる
みなさんは言葉が軽い人間に会ったことがあるだろうか。たとえば「やる」と言っておきながら小指の先程も動こうとしない人間だ。
底辺は言葉が軽い。なぜならそこにはやってきた実績も相手への配慮も存在していないからだ。
言葉と言うものはときとして途轍もなく重いものと成り得る。
言葉の重みを最もよくわかっているのは政治家とマフィアだろう。
政治家は発言のいかんによって国の行く末を大きく左右することにもつながるし、また往々にして失脚させられることもある。揚げ足取りをしたがるマスコミが針小棒大に騒ぐ昨今であればそれはなおさらだ。
マフィアもまた同様だ。マフィアは社会とは別の枠組みで動いている。彼らの世界には法律が存在しない。彼らにとっては言葉がすべてであり、たとえば敵対組織との交渉の場でうかつなことを言ってしまえば即座に足元をさらわれてしまう。
これに対して底辺は言葉が軽い。他人に対してどころか自分に対してすら責任を負えないことも平気で口にする。
■機関銃をぶっ放せ
筆者は以前、国際政治の講演会に来客として招かれたことがある。そのとき、東アジア情勢に詳しいと思しき国際政治学者が演説をぶった。内容はありきたりのものだったのだが、講演後、懇親会の席で仮想敵国の問題について話をしていたところヒートアップしてしまったらしく「某国の空港に降り立って機関銃でもぶっぱなせばいいんだ」などと叫んだのである。
するとそれまで黙って話を聞いていた聴衆の一人がおもむろに「そこまで言ったのなら、お前、まずは自分でそれをやってみろ」と突然すごんだ。それを聞いた他の聴衆たちも「そうだそうだ」と叫び出し、くだんの政治学者は真っ青な顔をして黙り込んでしまったのである。
その学者の顔を見たのはそれっきりだ。彼が社会に頭角を表せない底辺であることが端的にわかるエピソードだと言える。自分ができそうもないことをペラペラと軽く口にしないことだ。
■言葉が軽い世界は荒れる
たとえば水商売の世界は言葉が軽い。接待する側の女性としても酔客相手にいちいち真剣になっていたら身がもたないからそれは当然のことだろう。
しかしそれであっても高級クラブと場末のスナックとでは言葉の重みはやはり変わる。また安いキャバクラであればスタッフの女性が突然失踪することなどは日常茶飯事だ。
管理をしている黒服も女性を信用しないため、そのような底辺ではどれほど取り繕った内装をしていても、やはりどこか荒涼とした底辺臭が漂う。
もちろん失踪する彼女たちにも相応の事情があるのだろう。しかし突然失踪すれば店が困るのは分かりきっているはずだ。相手への配慮がなければ人はどこまでも底辺から脱却できず、自分をさらなる底辺へと追い込んでゆくことになる。
■「言わない」ことの大切さを学ぼう
いわゆる成功者の中には何かを尋ねた際、意思を持って口を閉ざす人がいる。筆者は答えないことには「答えない」と述べることもあるが、いずれにしても、そこには言わないことの価値がある。
底辺を脱却する際のキーワードの一つに「沈黙は金」であることを知ろう。