bottomlaw

脱・底辺 100の法則

脱・底辺思考! 底辺の生活を見つめ、底辺から脱するためにはどうしたら良いかについて解説する。

底辺の世界から脱出したい貴方へ
12 7月

底辺は言葉が軽い

d8cd90ae9fae024a5789bf079f194fbd_s


■言葉はときに命取りになる

みなさんは言葉が軽い人間に会ったことがあるだろうか。たとえば「やる」と言っておきながら小指の先程も動こうとしない人間だ。

底辺は言葉が軽い。なぜならそこにはやってきた実績も相手への配慮も存在していないからだ。

言葉と言うものはときとして途轍もなく重いものと成り得る。
言葉の重みを最もよくわかっているのは政治家とマフィアだろう。

政治家は発言のいかんによって国の行く末を大きく左右することにもつながるし、また往々にして失脚させられることもある。揚げ足取りをしたがるマスコミが針小棒大に騒ぐ昨今であればそれはなおさらだ。

マフィアもまた同様だ。マフィアは社会とは別の枠組みで動いている。彼らの世界には法律が存在しない。彼らにとっては言葉がすべてであり、たとえば敵対組織との交渉の場でうかつなことを言ってしまえば即座に足元をさらわれてしまう。

これに対して底辺は言葉が軽い。他人に対してどころか自分に対してすら責任を負えないことも平気で口にする。


■機関銃をぶっ放せ

筆者は以前、国際政治の講演会に来客として招かれたことがある。そのとき、東アジア情勢に詳しいと思しき国際政治学者が演説をぶった。内容はありきたりのものだったのだが、講演後、懇親会の席で仮想敵国の問題について話をしていたところヒートアップしてしまったらしく「某国の空港に降り立って機関銃でもぶっぱなせばいいんだ」などと叫んだのである。

するとそれまで黙って話を聞いていた聴衆の一人がおもむろに「そこまで言ったのなら、お前、まずは自分でそれをやってみろ」と突然すごんだ。それを聞いた他の聴衆たちも「そうだそうだ」と叫び出し、くだんの政治学者は真っ青な顔をして黙り込んでしまったのである。

その学者の顔を見たのはそれっきりだ。彼が社会に頭角を表せない底辺であることが端的にわかるエピソードだと言える。自分ができそうもないことをペラペラと軽く口にしないことだ


■言葉が軽い世界は荒れる

たとえば水商売の世界は言葉が軽い。接待する側の女性としても酔客相手にいちいち真剣になっていたら身がもたないからそれは当然のことだろう。

しかしそれであっても高級クラブと場末のスナックとでは言葉の重みはやはり変わる。また安いキャバクラであればスタッフの女性が突然失踪することなどは日常茶飯事だ。

管理をしている黒服も女性を信用しないため、そのような底辺ではどれほど取り繕った内装をしていても、やはりどこか荒涼とした底辺臭が漂う。

もちろん失踪する彼女たちにも相応の事情があるのだろう。しかし突然失踪すれば店が困るのは分かりきっているはずだ。相手への配慮がなければ人はどこまでも底辺から脱却できず、自分をさらなる底辺へと追い込んでゆくことになる。


■「言わない」ことの大切さを学ぼう

いわゆる成功者の中には何かを尋ねた際、意思を持って口を閉ざす人がいる。筆者は答えないことには「答えない」と述べることもあるが、いずれにしても、そこには言わないことの価値がある。

底辺を脱却する際のキーワードの一つに「沈黙は金」であることを知ろう。

12 7月

底辺は底辺を呼ぶ

5efdc7cef9f71b39c301caeddd4da6a2_s


■底辺養成所には近寄るな

「類は友を呼ぶ」と言うが底辺は底辺同士で集まる。

たとえば経営陣が集うパーティなどに底辺が招かれれば、底辺としてもそれは居心地が悪いだろう。心理学的に見ても、人にはそれぞれ快適な居場所があるのだ。

人であれ動物であれ、属性が同じものは集う集成があるのである。

また、これは環境によっても左右される。

映画「フルメタル・ジャケット」はその好例だ。たとえ底辺であったとしても、無理やり軍隊に入れられて数年を過ごせば相応の立派な人格と面構えになるものである。逆もまた然り。底辺は底辺を呼ぶ。底辺が集う環境は底辺養成所なのだ。

たとえばエリートサラリーマンでも、何らかの理由で繁華街のまんが喫茶で2年、3年と寝泊まりをしたのであればどうだろう。右を見ても左を見てもまんがばかり。そこでできることはだらだらとネットサーフィンをするなり、底辺丸出しの連中と遊び回ることだけ。そしてそれは、そこで知り合った底辺の生活リズムにも引っ張られることをも意味する。

こうなると元はエリートサラリーマンであっても、数年後には勤め先もなく、そこで一日をだらだらと過ごすだけの見事なまでの底辺ができあがる確率は高い。

これはパチンコなども同様だ。底辺の集う場所は底辺養成所である
底辺から脱却したいのであれば、まずは周囲の環境を見回すことだ。


■人格を変えることが先決

「類は友を呼ぶ」とは、同じような傾向の者が自然に集まってくることを指す。つまり、居心地の悪い場所であれば、仮にそこに顔を出す機会があっても「ここは自分には合わないな」と自然と離れてゆくという意味でもある。

パチンコやまんが喫茶に慣れ親しんでいたり、朝から晩までネットサーフィンをしていたりする底辺がその場から離れるのは至難の業でもある。そのような場合、自分の内面に問いかけることが大切だ。

本物の底辺であれば、そもそも自分のいる環境が底辺であることを自覚していない。むしろ「良い場所だ」と手放しで称賛していることだろう。

しかし胸の内になんらかの不安やいらだちがあるのであれば、そこから顔を背けずに正面から問いかけてみるといい。それは自分が底辺から脱却したいと言う気持ちの表れなのだ。


■不安はあなたの宝石となる

底辺は底辺同士で群れたがる。そこに不安を感じるのであれば、その不安は底辺脱却のためのまばゆい宝石としてあなたの前途を照らすことだろう。

いずれにせよ「朱に交われば赤くなる」は本当だ。底辺の集う場所には近寄らない方が賢明だ。
11 7月

底辺は約束を守らない

7c48a2b3873d780f9a5c1db089919c0c_s


筆者が常々述べていることの一つに「約束を必ず守る」というものがある。約束は書面に限らないし、相手が年端のいかない子どもであっても、盛り上がった酒の席であっても同様だ。

もちろん筆者とて人間であるからには、思いがけず約束を破ってしまうこともある。しかしそれであっても、後日必ず謝罪するようにしている。仮に幼児であっても腰を折って心から謝罪している。


■底辺は約束を守らない

底辺は約束を守らない。これはあらゆる底辺に共通している思考だ。彼らは時間であれ、お金であれ、人の紹介であれ、平気で約束を破る。約束を破ったことがバレたらニタニタしながら「あれは酒の席だから」とか「俺は君より年上だから」と見苦しい言い訳を並べ立てる。

当人はうまいこと言ったつもりだろうが、その際の惨めな姿は誠に憐れむほかはない。


■底辺の思考は「謝ったら負け」

なぜ底辺は約束を守らないのか。ビジネスでもし契約を破ってしまったのであれば即座に謝罪しにいかねばならない。それは当たり前のことだ。

底辺が約束を守らない原因。それは、底辺には薄っぺらなプライドしかなく、それが人生のすべてだからだ。

約束を守ろうとしないことも、謝罪ができないことも根っこは同じだ。底辺は我のカタマリであるために自分中心で物事を進めようとする。約束を守ることも、守れなかったがために謝罪をしにいくことも自分をすり減らす苦しい行為だ。底辺はそのような痛みには耐えられない。

以前、金融業者から話を聞いたことがあるが、多重債務者には借りた金を即座に踏み倒すような連中が多いそうだ。しかし債務者に対してそれを指摘すると、ときに彼らは人格を否定されたとばかりになりふり構わない逆ギレを始める。そしてそれはときに刃傷沙汰ともなりかねないとのことだった。貸した金を取り立てるというのもなかなか大変な仕事のようだ。

謝れない人は世の中に往々にして存在するが、底辺の思考の根底には「謝ったら負け」という意識がある。謝ることは相手の風下に立たされると思っているのだ。彼らは自分が間違ったときに素直に謝れないことの方がずっと恥ずかしいことに気づいていない。



■約束を破ることは卑しい振る舞い

繰り返すが、底辺ほど約束を破る。逆に言えば守れないような約束であれば最初からしないことだ。

一度失った信用は二度と取り戻せない。そして謝罪とは、約束を守れなかったとき、他者との信頼をつなぐ最後の砦であることを底辺は理解していない。

約束を守らず、それを指摘されたら「酒の席だから盛り上げてやった」だの、「自分の方が人生の先輩なんだ」だのと論点をぼかし、ニタニタ笑って逃げ回る底辺特有の卑しい振る舞いを見る機会があったら、とっくりとよく観察してみるといい。


約束を破って逃げ回る卑屈な底辺を目の当たりにし、このような惨めな人生を送りたくないと思ったのであれば、あなたはすでに底辺から脱却をし始めていると言えるだろう。

カテゴリー
お問い合わせ

名前
メール
本文