トランプ政権になって時代はより競争が加熱するようになった。先進国はより先鋭化し、後進国も自分たちの食い扶持を稼ぐために必死に仕事を模索する時代となりつつある。
その中で現状維持に甘んじている者たちがいる。そう、賢い諸氏はお気づきの通り、その者たちを『底辺』と呼ぶ。
少子高齢化の中で社会保障費がさらに嵩み、個人への大幅な増税が繰り返される中、法人税の減税の名の下、私たちの資産が海外ファンドに奪われつつある。底辺はその渦中で、ただ指をくわえて文句を垂れ続ける。
それらの中には高齢者も少なくない。
人口比率で考えると高齢者の底辺が急激に増加しつつある。数年前、大阪都構想が高齢者の猛反対で潰されたが、その理由を聞くと「新しいことをしなくても生きていけるから」と呟く者がいた。けだし底辺の本音と言うべきだろう。
底辺は現状維持を好む。親から受け継いだ田畑や職をだらだらと続けるだけで、自らその領地を拡大しようとしない。結果、市場が先細りになればただグダグダと文句を垂れてお互いにキズを舐め合うばかりだ。
世の中には田畑を持たない者がいる。筆者の友人で、30代前半、経営コンサル系の社長がいる。彼とは20代の頃に知り合ったが、生まれは小さな団地で、教育環境などとは程遠い、人が聞けばもしかしたら眉を潜めるかもしれない地域である。そして彼の身内は生まれながらに難病を抱えていた。
しかし彼は生まれながらにして背負ったハンディキャップを自らの責任とし、苦しい中で日々を生き延び、かつ自分の身内をどうしたら治せるのか、煩悶に煩悶を重ね、奨学金で一流の大学を出、自力で会社を興し、何度も人の裏切りに遭って辛酸を舐めながらも年々大規模に拡大を続けていっている。
彼は家族の病と同様に、同じ病で苦しむ人々を救える世の中を築きたいと常に口にしてはばからない。
一方、底辺はどうであろう。自分以外の何者にもこれっぽっちも目を向けない。他人には口うるさく、自分にはだらしなく、与えられた現状にひたすらしがみつくだけである。
時代の変化によって自らの資産価値に危機感を抱いたのであれば、今の世の中に対してどう戦えば良いのか必死で考え抜かねばならない。行動し、失敗し、また立ち上がり、そして戦って生き延びねばならない。文句を垂れるヒマなどどこにあるのだ。
自分の行動は自分で責任を取る。そんなことは当たり前のことだ。責任が取れないのであれば黙って口をつぐみ、下を向いていればいい。
あなたがもし、今なんらかの苦みを抱えているのであれば、頭を使って対処法を考えなければならない。さもなければずっとそのままだ。
先に述べておけば思いついた対処法が10個あれば、そのうち少なくとも8つは失敗するだろう。それで大恥をかくこともあるかもしれない。長く残る心の古傷となるかもしれない。
先に述べておけば思いついた対処法が10個あれば、そのうち少なくとも8つは失敗するだろう。それで大恥をかくこともあるかもしれない。長く残る心の古傷となるかもしれない。
だが、それ以外に道はない。戦い続ける者を笑う者こそが底辺の証だからだ。
10試したうちの残り2つ、10試してだめなら100試したうちの、もしかしたらたった1つの成功事例を繰り返してゆく。そうすれば、2年後、3年後、彼らはもはやあなたをあざ笑うことができなくなる。
10試したうちの残り2つ、10試してだめなら100試したうちの、もしかしたらたった1つの成功事例を繰り返してゆく。そうすれば、2年後、3年後、彼らはもはやあなたをあざ笑うことができなくなる。
うそだと思うのであれば愚直に試してみるといい。数年もすれば底辺たちは遥かな雲下より、既に小さな点のように遠く、高みに至ったあなたの姿をときおり仰ぎ見る。
底辺たちはあなたのことをもはや、いくら手を伸ばしても到底たどり着けない者として、今日も脇目もふらずに奮闘し続けるあなたの姿を、ただ黙って畏敬の目をもって見つめることになるだろう。
底辺たちはあなたのことをもはや、いくら手を伸ばしても到底たどり着けない者として、今日も脇目もふらずに奮闘し続けるあなたの姿を、ただ黙って畏敬の目をもって見つめることになるだろう。